逃げるが勝ち。ネットで相談も。


上司からパワハラを受けました。最近のいじめに関する事件のニュースを聞くと、昔もいじめがなかったわけではないけれど、今は陰湿になっているという感じがします。

クラスに一人や二人はいじめられやすい、おとなしい子というのはいました。いじめというよりはからかっている感じでした。いじめられっこが登校拒否するようなエスカレートされたいじめもありませんでした。学校に来ないのは主に悪い遊びを覚えたタイプの人でしたから。

今はほんの些細なことでいじめられる側になってしまうと聞きます。子供の頃のいじめられた記憶も今思えば、からかわれていたのでしょう。しつこく、嫌がることをされて、最後には家にまでおしかけて来て泣いた記憶があります。それも少しの間でしたし、いじめっ子は一人だけでした。

今の子は加減を知らないと思います。私はゲームが影響を及ぼしているのではと思います。ゲームは死んでもすぐに最初から始められます。人の命を粗末に扱うようになったのはゲームが原因なのではと思うことがあります。

大人になってからですが、とある会社に勤めていたときです。仲良しグループを作り、必ずいじめのターゲットを作ってパワハラをするという上司にあいました。

可愛がってもらっていた時は良かったのですが、とあることが原因でパワハラを受けるようになりました。上司のパワハラはとにかく、人の仕事を減らし、給料を減らすことでした。

仕事の量と高い給料を与えていれば部下がついてきてくれると思っていた人でしたから、嫌いになるとそこを減らすのです。結局、派遣社員に格下げされ契約更新されずに辞めることになりました。

どの世代にもいじめはあります。人が集まるところには必ずいじめがある、それが今の社会です。いじめはけっしてなくならないと思います。

どうやって対処していくか、個人的にはその場から逃げるのが一番だと思っています。自分も辞めさせられたことでパワハラからは解放され、精神的にとても楽になりました。いじめる人間は絶対に止めません。だから逃げるしかないと思っています。

いじめらている人には我慢せずに逃げられるのであれば逃げてほしいと思います。逃げられない場合は、一人に抱え込まないで相談してほしいと思います。相談できる場所ってたくさんあります。今はネット社会ですから、ネットでも相談できるでしょう。

意外に身近な人にはいいにくいものですから、ネットなどは相談しやすいと思います。死を選ぶ前にやれることはあると思います。

いじめられた古傷


いじめのニュースを聞くと古傷が痛みます中学生の時にいじめにあっていました。

いじめの内容は、無視される、陰口を言われる等のよくあるいじめでした。大人になった今だから、「よくあるいじめ」と表現できるのですが、当時は学校が生活のほとんどで、学校が唯一の社会だった為、とても辛かったです。

校舎の外を歩いていると、「足太いのにスカート短くするな」という声が聞こえて、顔を上げると、2階のベランダから複数の女子が笑いながらこっちを見ているという事も多々ありました。当時付き合っていた先輩に、「他の人とも付き合ってる」と嘘を伝えられてふられたりもしました。

それでも、そういう事をしてくるのは一部の人で、仲の良い友達もいたので、何とかその人達のいじめにも耐えて中学生活を終われましたが、仲の良い友達もいなく、本当に一人だったら耐えられていたかどうかわかりません。

今となってはそれも思い出だと思えますが、いじめのニュースを見聞きする度に、少し古傷がえぐられる気持ちにもなります。卒業して何年も経つのに、こういう気持ちになるのだから、いじめは本当にいけない事で、根深い問題だと思います。おそらく私をいじめていた人達は、いじめのニュースに触れても、私の事を思い出す事はないと思うと、悔しい気持ちにもなります。

その人達も、もう今は親となって子育てをしている年代になっていますが、是非自分の子供には、いじめに加担するような子供にならないよう、きちんと教育をしてくれる事を望みます。

いじめに耐えて欲しい


貴方を愛する両親がいますいじめで、自ら命を落とす人に言いたいです。厳しいことを言います。場合によっては、あなたはいじめの辛さを分かってないと思うかもしれません。

私はいじめで自ら自殺する人が許せません。死にたくなるほど辛いいじめに遭ったから、死を選ぶ、もしくは自分は死にたくなるほどいじめに遭ったのを周りに分かってほしい、あてつけに死んでやると思うのかもしれません。

そして、マスコミはいじめに遭った子供が自殺し、それを学校は気づいてなかったとか気づいてたけど放置してたなど言います。確かにそういうこともあるかもしれません。

そうなる前に、死を考えてる子に私は言いたいです。私は子供が二人います。二人とも、順調にお腹で育ち出産し育っております。私は子供を妊娠し産んだ時に、この子に何かあったら自分の命に代えてでも守りたい、何があっても絶対守ると思える存在として私はこの時強く思いました。

あなたを産んだお母さん、お父さんどんなにあなたを大事に想ってお腹で育てて産んで育てたか分かってほしい。それにはどれだけの想いがあるのか知ってほしい。また、いじめなんかに負けないでほしい。いじめたやつのせいで自分の大事な命を絶つなんて、悔しいじゃないですか。そんなあてつけに死ぬなんてするくらいなら、何か違うことで頑張って見返してほしいくらいです。大事な命をそんなことの為に絶つなと言いたいです。

マスコミでは命を自ら絶った人のことは、何も咎めません。そして、かわいそうにと同情される。そこで非難することは出来ませんが、同情されて自殺してもそれは相手が悪かったねではダメなのです。私はもっと強くなれよ、耐えることも人生の修行だと思います。修行だと思って頑張ってほしい。辛いことに耐えたときは、きっとそれが自信になります。人の痛みの分かるようになります。

虐められている子供には余裕は一切ありません


成田空港の近くに転校自分が「いじめ」というものをクラスメイトから受けたのは小学生の頃でした。成田空港に近い小学校だったので、兎に角国内国外問わず転校生が多い学校でクラスメイトは毎年凄いペースで代わっていきました。

自分も一身上の都合でその学校に小学4年生の時に転校したのです。当時としては珍しい母子家庭という環境が自分を大変臆病にしていました。そして平均以上に大変ふくよかな身体をしていたのが祟り兎に角「デブ」と嘲笑されるのを恐れていました。

転校はそれが一度ではなく、前の学校でもその前の学校でもそれが凄く怖かったのを覚えています。肥満体になってしまったのは自分の食事管理をしっかりできなかった事で自分が悪いので何を言われてもどうしようもないことなのですが。

体型が直接的な原因ではなかったのですが、転校から一週間後いじめは起こりました。掃除の時間、リコーダーをサッカーボール代わりにされてそのまま遊ばれていてすっかり自分に掃除を押し付けられていました。

通学の際にかぶっていた帽子を隠されたりとかなり静かな行為が多かったです。言葉のないいじめはあまり自分が外にやられていることに気付きませんでした。その時、自分はクラスメイトにいじめられていることを感じている余裕がありませんでした。

というのも重なる転校で住所が代わり、実家に帰れない寂しさが沸いてしまっていました。兎に角今まで住んでいた田舎の実家に帰りたかったのです。そこにいじめが入ってしまい、すっかり沈んでしまいました。

子供は平気で間違いを犯します、その時に初めてオーバードーズを経験しました。きっともう生きていたくなかったのだと思います。

もしこのいじめに声があったら、陰口がついていたらきっと今頃本当に命はなかったと思います。如何せんいじめられている中で子供の視野はとても狭くなっています。元気がない時は、積極的に子どもと話した方が良いのだなと思いました。苛められていることを親に訴えるほどの力は残っていないのだと思います。

誰を虐めたのかも覚えていない


いじめた相手も覚えていない「いじめられた人はいじめをした人よりもハッキリと覚えているものだ」といじめをされていた知人に聞いたことがあります。

いじめた側は誰にしたことさえも覚えてなく、どんなことをしたかさえ忘れていってしまうようです。
知人は「あの時は悪かった」といじめられていない人に大人になってから謝られたそうです。

「誰かをいじめたことを覚えていても、いじめた人が誰なのかは覚えてないものなんだな」と知人が言っていたのが印象的でした。
謝ってきた相手は「いじめていた記憶となんとなく罪悪感だけはある」ということです。

いじめにあった側は、ずっと忘れることが出来ず、トラウマになりそれがちょっとしたこと出てきて不安になるように感じます。
高校でいじめにあっていた知人は、その後塞ぎこみつつも「自分の居場所」を失わないように学校を休まず通い続けたそうです。
親にも言わず、物が破かれようが人前で蹴られようが不安で怖くても自分の居場所を失くさないために…。

知人はその後、教員になり不安になっている子の相談を時に受けつつ、悪い環境にならないようにと他の教員へ相談をし対応をしています。

私はいじめられた人を受け入れた側でした。
女の場合、大抵グループ内でいじめが始まります。
そしてハブられて居場所がなくなると違うグループに入ろうとします。

いじめを受けた子に、ほぼ付きっきりになった私に対し、本当に仲良い子は焼きもちなようなものを焼き、離れていくような恐怖感を少し感じました。
いじめを受けた子は少しずつ学校を休むようになり、夏休みの補習にもあまり出ることもなく学校に来るように声をかけてもダメで辞めてしまいました。
辞めた後も何度か会ったりしていましたが、他のクラスの友人曰く、辞めてしまった子は私の事も「心からは信用はしていない」と言っていたようです。

いじめを受けた子の傷は大きく、正直どこまでどう接するのが正解なのか未だにわかりません。
また受け入れる側も依存されてしまうと、どうすればいいのかわからなくもなります。

最初に書いた知人は実は私の彼氏なのですが、色々な場面で未だにトラウマを抱えているようにも感じます。
たぶん受けてしまった傷は一生消えることはないのでしょう。

厳格な父に虐めのことを言えなかった


クリーニング店経営の父は厳格でした私は小学校に入って1年生の時の先生に凄く憧れを持つようになりました。その先生が綺麗で優しかったからです。

でも2年生になって、クラス替えがありました。その先生と離れるのが嫌で泣いた記憶があります。2年生になってからの担任の先生は凄く1年生のときの先生とは対照的でした。こわかったです。

勝手に話をしているとチョークを投げてくるような女性の担任でした。今そんなことがあれば、親が黙っていないでしょうね。でもそのころはそういうのは普通にあったんです。それに私は太っていましたので動きがスローでしたし、忘れ物はよくするので先生に怒られてばかりでした。でもこれがいじめの原因になってしまったんです。

クラスの男子生徒に馬鹿にされるような言葉を言われ始めてから、その男子生徒の数が増えていきました。朝、学校の下駄箱に行くと、下駄箱にあるはずの上履きが隠されていたことがありました。

そんな時は靴下のままで授業を受けていました。トイレに鍵をしないで入っていたらドアを開けられたこともありました。
私のいじめは小学校を卒業するまで続きました。家がおんぼろで貧乏だったというのも理由だったと思います。

家は木造の借家でした。そこで父はクリーニング屋をやっていました。時々外でクラスメイトの男子生徒の声がしたことがありました。

でも私はいじめにあっていることを1度も父に言いませんでした。父が厳格でしたので聞く耳をもたないと知っていたからです。

ずっと心に


幼稚園生のいじめは無邪気で残酷でした私が体験した最もひどいいじめは、なんと幼稚園時代のものです。
集団生活が始まったばかりの、まだ幼い幼稚園児に何ができるというのか、疑問に思われる方も多いでしょうが、何も分からない小さな子供だからこそ、それほど意識せずに、残酷ないじめをしたのかもしれません。

私がいじめられることになったきっかけは、体調が悪くて嘔吐したことでした。今の幼稚園では考えられない事かもしれませんが、当時の担任の先生からは、心配してもらったような記憶は無く、逆にすごく叱られてしまったことを覚えています。

その翌日からは、幼稚園に登園し、教室に入ろうとしても、クラスにいる友達みんなが通せんぼをして入れてもらえなくなりました。先生がまだ教室に来られる前だったので、どうすることもできず、ずっと泣いているしかありませんでした。

特に男の子は口汚く罵るだけでなく、一歩も踏み込めないように、机や椅子でバリケードを築いていました。また、ある時は女の子に、呼び出されて
「パンツを見せろ。」
と、言われてズボンをめくられたこともありました。

今から思えば、幼稚園の先生が、朝、教室に来られるまでの時間、教室は園児だけの無法地帯だったようです。毎日、仕方なく幼稚園に通っていましたが、泣いてばかりいたように思います。

いじめというのは恐ろしいもので、された方は一生覚えているほど心に傷を負ってしまうのに、した方は、忘れてしまう事も多々あるようです。罪の意識が無い幼稚園時代のことだからか、大きくなってから会った当時のクラスメートは、全くいじめのことは覚えていませんでした。

当時の私は、小さかったので「自殺」なんて、考えることすらできなかったのだと思いますが、とてもつらい経験でした。あの時、クラスのみんなにされたことは、絶対に忘れることはできません。笑い話として忘れ去ろうとしても、ずっと心に残っています。

とても心細い毎日


どうして虐めるのか加害者の心理が分からない私は中学生時にいじめに合いました。
中学校に入ってすぐは新しい友達もでき、楽しい学生生活を送っていました。
しかし二学期に入ってすぐに不良グループに目を付けられていじめを受けるようになりました。
いじめの内容はトイレに連れ込まれて殴る蹴るの暴行を受けたり、明日までにお金を持ってこいというものでした。
友達に助けを求めましたが、関わるのが嫌なのか友達がだんだん離れていきました。
親にも心配をかけるので相談する事も出来ず、とても心細い毎日を送っていました。
いじめは私が中学校を卒業するまで続きました。
今振り返ってみてもいじめられる原因が分からず理不尽な思いでいっぱいです。
私がどうやっていじめに耐えていけたかというと、とにかく感情を表に出さない事で抵抗しました。
いじめる側は大体複数で取り囲んできます、私はそのままトイレや校庭の裏庭に連れて行かれるのですが、全くの無抵抗です。
こちらが嫌がると相手はますます調子に乗るので、ノーリアクションを続けることで相手に飽きさせるようにしていました。
そうしていると相手がしらけるのか、割と早い段階で解放される事が多くなりました。
このささやかな抵抗ぐらいしか当時の私の取る防衛手段はありませんでした。
学校内で完全に孤立した状況でしたが、私にも弱いなりに意地があるので毎日学校に行っていました。
今にして思えばよく自殺しなかったなと思うくらいひどいいじめを日常的に受けていました。
特にショックだったのが小学校時代に仲の良かった友達がいじめる側に回った事でした。
私が中学生だったのは今から約二十五年前ですが、当時のいじめは激しいものだったと思います。
ずいぶんと苦しめられましたが、今になっても加害者の心理はよくわかりません。
中学校の同窓会が合っても彼らに会う事が嫌なので参加した事がありません。
今の私ならいじめに合うくらいなら、学校に行かなくて良いと言ってあげたいです、それだけで大分心が救われると思いますから。

アクションを起こさなければ


前に向いて動き出せば、いじめの意味も変わるいじめはその人の人生を良くも悪くも狂わすものだと思う。いい面では「相手の気持ちを分かるようなる」または「人にやさしくなれる」、悪い面では「対人恐怖症になる」「心を開きにくくなる」といったところ。この二つ面については、矛盾しているとも思えるけど、そうじゃない。その人の「心の持ちよう」によってどういう風にでも変わる。

例えば「いじめられた」のは事実だけど、その後の人間関係や人生に悪影響を及ぼす出来事ではないと「その人が判断すれば」、そうではなくなるということ。そう、事実と感情を一緒にするとごっちゃになる。「いじめられた(事実)」=「もうだめだ(感情)」っていう発想は短絡的だし、もったいない。感情の部分をどうコントロールするかによって、いじめを克服できる可能性があると、私は思う。

内藤大助さんは、多くの人が知っていると思う。強くなれば、いじめられることがなくなると言う縋るような気持ちから
ボクシングを始めたというエピソードが残されている。彼を見た人はどんな印象を抱くだろう?「やさしい」「謙虚」「世界王者」など、いじめられてたとは思えないほど、いい方向に行っていることに気づくと思う。その例をみても、その人がどうか感じるかによって、その後は大きく変わることを意味しているのではないだろうか?

「いじめられてた」という事実に対して、内藤さんは「いじめられないために強くなる」と前を向いた。そう立ち上がったからこそ、今があると言っても過言ではない。その為には、自分がどんな状況にあるのかを理解するところから始まる。そして、どうしていきたいのか?本音を掃出し、行動に移すこと。どんだけ時間がかかってもいい。アクションを起こさなければ、何も変わらない。このような例はまれだとしても、少しでも前を向く気持ち、感情があれば立ち上がってほしいと切に願う。

弱かったんだなぁという同情と後悔


田舎の学校のいじめは小さな社会田舎の小・中学校に通っていました。
それぞれの学年が1クラス20人前後の小さな学校で、小さい頃からほぼ同じ人間の中で築かれる人間関係。クラスの中での立ち位置が変わる事はほとんどない小さな世界でした。

そのコミュニティの中では、気の強い子は多くの子を自分の味方を付けた権限のある様な立場になりたがり、そうしたクラスの気の強い子同士がぶつかり合うような事が小さい頃から続いていました。

その時権力のある子に気に入られないと嫌がらせをされたりする。けれど例え権力がある子につけたとしても何かの拍子でその子の立場が悪くなれば自分の立場も悪くなる…それは「自分よりも下の人間がいると安心できる」世界でした。

私は直接的に誰かにいやがらせのような事をした事はありませんでしたが、影でたくさんのいじめのような事をしました。友達と、””共通の気に入らない事””がある子の陰口を言う行為です。誰かと””共通の気に入らない事””を共有する子の陰口を言うと、同じものを共有できている人がいるという安心、自分はされる側じゃないという安心が得られました。しかしそれは同時に、「自分は今いる場所で安心できる立場になる為に人をおとしめている」という罪悪感も背負う行為でした。

そんな風にクラスで陰口を言われるようになる子達は大体決まっていて、協調性がなかったり、言われるだけの目立つ変わった部分があったりしたのですが、そういう子達はどの子達も決まって、人に対する嫌がらせの様な事をやり返したりしませんでした。

多数の人たちが変だと感じる要素を持つ子達の事を陰でこそこそばかにしながら、その子達の事をうらやましいなぁと思ったりもしながら、結局私は違う学校に進学するまで、その小さなコミュニティの中で、人を悪く言って自分の安心を得る方法をやめる事はできませんでした。

直接的に傷つける事はしなかったかもしれなくても、私のやっていた事は立派ないじめだったと思います。そんな当時の自分に対して感じる事は誇りではなく、弱かったんだなぁという同情と後悔です。

いじめは絶対的にする側が悪いという意見がありますが、その通りだと思います。協調性は人と何かをする時にとても大事なものですが、協調を気にしすぎる事ははみ出たものを排除しようとする行動、いじめを生む種にもなっていると言えます。

「誰にどう思われたとしてもいいと思うものはいい」「はみ出る事になったとしても自分を貫く」というような、時に協調を乱すかもしれない我の強さは、これからもっと認めていくべき大切なものだと考えます。